みなさんこんにちは!今日は書記局員Kが担当させていただきます。このブログは、3/18の今日、東京から帰宅する電車の途中で書いています。私はこの4日間、3/15~17に開催された第41回医学連定期全国大会〈医学連大会〉、続いて3/17~18に開催された第67回全国医学生ゼミナールin弘前 第2回全国準備委員会〈2準委〉に参加していました。
毎年3月に開催される医学連大会は、全国27大学(2024年3月現在)の学生自治会が加盟する全日本医学生自治会連合〈医学連〉が、各自治会から選出された代議員やオブザーバーを対象に、中央執行委員会が行ってきた1年間の活動を報告する場です。また、講演会や各自治会による取り組み紹介の内容を題材とし、各班に分かれてsmall group discussion 〈SGD〉を行います。テーマを変え繰り返しSGDを行うことで、参加者は学生自治や社会情勢についてより多様な考え方をすることが可能になり、次年度の自治活動はより豊かなものとなります。
最終日に行われる全体討論では、代議員から来期の活動について医学連に期待することや各自治会で力を入れたいことについて話されます。それに応えるように、医学連役員は1年間医学生の権利を守るために力を合わせて取り組んできたこと、来期の医学連をより良いものとするために特に必要だと考えることを表明します。続いて決議の採択、決算・予算の承認、そして来期を担う中央執行役員(定員15名)を選出するための選挙が行われ、大会は幕を閉じます。
さて、このブログを読まれているかたの中には、学生自治に対して、(なんだか難しそう…)、(努力しても還元されるものは少ないんじゃないの…)、そんなふうに考えているかたもいるかもしれません。こういった不安・疑問に、大学3年生から医学連役員を務め、この春大学を卒業する私の立場から、あくまでも個人的な見解にはなりますが、答えてみようと思います。
まず、自治って難しいんじゃないか、と思われるあなた。ズバリ、その通り。自治は、難しい(ときもあります)。私は役員初年度のとき、当時流行したばかりの新型コロナウイルス感染症が学生生活に及ぼす影響に関して、先輩役員たちとアンケート調査を行いました。全国的に制約が厳しくなっていた地域枠制度について活動した時期もありました。そうした活動の中で、単に個人の熱い思いをぶつけるだけではなく、集団として議論を行い、合意形成を目指すことの難しさを痛感し、役員を辞めようかと思うほど悩んだ時期がありました。しかし、ある先輩役員から、「役員ひとりひとり意見の違いはあると思う。でも、だからこそ今は意見の一致点を大事にして、そこに立ち返って議論すべきとき。Kくんの気持ちが萎えてしまうのはわかるが、きみがやっていることは正しいから、それをどうやったら実現できるか、一緒に考えよう」そんな励ましの言葉をもらいました。こうした経験は、「プロセス」を大事にする自治の難しさ、そして、その難しさに支えられて民主主義的な自治運営が実現し、自治が本当の価値をいきいきと発揮するのだということを、今でも私に教えてくれています。ただし、学生自治の出発点は決して高尚なものではなく、「自分たちのことは自分たちで決めよう!」という極めて素朴なものであることも、心にとめていただけると嬉しいです。
学生生活を費やして自治に打ち込んでも、成果や還元されるものは少ないんじゃないか、と思われるあなた。その答えは、「半分正解」、でも「半分不正解」かなと思ます。前述した通り、自治にはその本当の魅力を味わうために、困難がつきものです。全国的な課題のように国家レベルで決まっている政策に医学生の当事者団体として声をあげて、あげ続けても、なかなか変わらない事柄もときにはあります。しかし、それでも信念に基づいて声をあげた自分たちにどうか誇りを持ってほしいと思います。不正義・不条理があると知りながら見て見ぬ振りをし、もし誰かの権利が侵害されたら、あなたもそこに数%は加担したことになるかもしれないからです。一方、「半分不正解」、そう言えるのにも理由があります。「各自治会や医学連の取り組みにより、学生生活が変わった!」そういうワクワクする実例もたくさんありますので、医学生のみなさんは、自治会交流集会のような機会を活用し、ぜひ刺激を受けてほしいと思います。何より、自治を経験すると、一見関係のない日常生活でも、少し違った角度から物事を見ることができるようになります。こうした新しい視野こそ、自治から得られる最も大きい成果かもしれません。
長くなってしまいましたが、最後に1つ、私が折に触れその意味を考える、書家相田みつをさんの言葉をみなさんにご紹介したいと思います。
― うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる (相田みつを) ―
不勉強ながら、私は相田みつをさんがどういった想いを込めてこの言葉をしたためたのか存じません。みなさんは、この言葉にどんな意味が込められていると思いますか?私は、水、食料、お金、教育、機会、医療資源など、たとえ社会に十分な量があったとしても、それをみんなで分け合うことができない社会に警鐘を鳴らすと同時に、ともすればわけ合うことを忘れてしまう自分自身を内省し、あらゆるものを分け合う社会を実現させようと呼びかけているように感じます。春からのみなさんの新しい生活が、周囲の人と困難や感動を分かち合うものとなることをお祈りし、結びとさせていただきます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。